水木しげるさんの訃報を聞いた際
彼が残した「幸せになるための七か条」ちゅうのを知った。
水木さんを全然知らない僕でも
多くの人に慕われた彼の人柄を感じる七カ条。
その中に
ここんとこ、ぼんやり考えてたテーマがあった。
「目に見えない世界を信じる」国民的妖怪漫画を描き続けた巨匠が言うと
オカルトっぽく聞こえんから面白いっすね。
仏壇屋として、
目に見えない世界と
どう向き合い
どう折り合いをつけていくべきか。
考えてたん。このごろずっと。

もうひとつあいまいなんよね。
目に見えない世界に対する
僕個人としての立ち位置というか
信念というか、所信がね。
皆さんはいかがでしょか?
「あるかどうかわかんないけど仏壇に手を合わす」
「ないと思ってるけどパワースポット好き」
「あると思ってるけど、とりあえず無関心」目に見えない世界について、どんな考えでしょ。
子ども聞かれたとき、どんな風にお話します?
この辺の話っち、突き詰めて話したりせんけど
面白いテーマやなぁと思うんよね。
僕は育った環境が環境なだけに
目に見えない世界を意識しやすい幼少期。
その時期養われた感覚は
宗教の世界で生きるとか、そういうもんじゃなく
「悪いことをするとバチがあたる」とか
「誰も見てないと思っても、実は見られてる」程度のもの。
反社会的行動に誘惑された際に
目に見えない世界からの監視的目線があると
なんとなく感じていたぐらいの話。
これって今考えると
すっごい必要なんじゃないかなーって思うんす。
道を踏み外しそうになる決断の時ってありますよね。
欲望やずるさから自らを律しきれなくなりそうな時。
その際、頭に浮かぶ様々な判断基準の一つに
「目に見えない世界」に育まれた善の基準があれば。
これが効くと思うんよ。とっても大事やと思う。
僕には少なからずありました。その感覚。
そういえばゾロリもママのこと思い出すもんなー。
日本は八百万の神が住む島。
いろんなものにすっと手を合わせる民族性は
海外の人からすると不思議に見えるんやろけど
倫理観の根底にあるのはこの意識やと思ってます。
目に見えない世界を信じ、尊ぶ心。
最近は全然信仰の対象として崇められてないのに
子育て時の便利グッズや、嗜好品的に使い捨てられてるのを見て
あまりに扱いが粗末な気がして「すんません」とか思っちゃう。
この話は
目に見えない世界を大切にしていれば
不幸や災難から守られるとか
願いが叶うとか悩みが消えるとか
そういう話じゃなくてですね。
なんていうんやろ、
人間が本能的?に持つ凶暴性とか残忍性
これを無くすなんて多分無理で
シーソーでバランスとる為
元々持ってる、あるいは育くんだ
善の意識 プラス
亡くなった大切な人なんかも含めて
目に見えない世界の善の力を反対側に乗せて
どうにかこうにか、まともな判断・いい選択の回数が増えると思う
そんな話です。
目に見えない世界は同時に想像力も養うけん
子育てには相当プラスになると思う。
それこそ目に見えんけん確証なんてないんやけど。
水木さんが言うてた七ヶ条。
なんの七ヶ条っていうと
「幸せになるための」なんよね。
幸せになるために、目に見えない世界を信じる。
うん。面白い。
大人が「幸せになりたいから今日から信じます」ってのも
あまりに嘘臭くてどうなんかわからんけど
子どもにはあると心から思って欲しいし
子どもに伝えるために、自分の向き合い方も
適当なんじゃなくて、きちんと考えないかんな。と。
水木さんから思わず頂いた宿題。
楽しみながら解いていきます。
長い人生、本当にお疲れ様でした。 合掌。
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