ある春の雑感。
PCのお気に入りにて久しぶりに発見した「日々を奏でて三千里」。
なんとも懐かしい僕や僕の周辺記事が盛りだくさん。
どっぷりとSNSに移行した今日この頃ではありますが、同時にプライベートでそれなりの長さの文章を書くことがなくなってきた。
このブログを書き始めたのは2006年。
その前に携帯日記(それがどんなものだったかはもはや覚えてもいない)を書いていたことを含めると、20年近くインターネットの海に駄文を投げ続けていることになる。個人やバンド、店のプロモーションという役割に収まらない自己発信を、人生の半分もの期間続けていることにちょっと驚く。
41歳になった今、書き始めた当時の僕の心中を察することはできないけど、自由に自己アピールできる媒体に対して相当な興奮を覚えていただのじゃないかしら。目立ちたがり屋の性分は今になっても変わらないが、ステージがあればどこでも駆け上がっていくがむしゃらさは衰えてきたように思う。
その前に携帯日記(それがどんなものだったかはもはや覚えてもいない)を書いていたことを含めると、20年近くインターネットの海に駄文を投げ続けていることになる。個人やバンド、店のプロモーションという役割に収まらない自己発信を、人生の半分もの期間続けていることにちょっと驚く。
41歳になった今、書き始めた当時の僕の心中を察することはできないけど、自由に自己アピールできる媒体に対して相当な興奮を覚えていただのじゃないかしら。目立ちたがり屋の性分は今になっても変わらないが、ステージがあればどこでも駆け上がっていくがむしゃらさは衰えてきたように思う。
当時から「不特定多数に見られている」という認識は周囲の人より強くあった。
それは今もおおよそ同じで、「ふざけながら綺麗に(整えて)見せる」という、対外的な顔を意識的に持つバランス感覚は若いころから変わらない気がする。そこに対して自らを卑下する気持ちはないけど、どう見られているかというアンテナの感度は高かった。商売人としての気質なのか、承認欲求の強い性格なのか、自己肯定感が低いからなのか。
整えた外向きの自分をもって、不特定多数を巻き込みながら自己と自己の周囲を楽しいものに形成していく。そのこと自体に「疲れる」や「嘘まみれ」などマイナスな感情はないのだけれど、いまだに一人の時間が好きなのはその辺りが影響してるのかなとも思う。
新型コロナに世界が振り回されている2020年。
自己アピールの歴史を振り返って感じた、なんともとりとめもない雑記を
新型コロナに世界が振り回されている2020年。
自己アピールの歴史を振り返って感じた、なんともとりとめもない雑記を
埋没したブログで今日も発信してる自分。ふふふ。
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