年に1回日記。
70才くらいのおじいさん。
その人のお母さんが亡くなった際に
うちでお位牌を購入してくれました。
ほんでゆっくりお茶なんか飲んで日向ぼっこ。
どんどん老けてく気がするぞ~わっはっは~い。
そのうち
おじいさんの昔話に花が咲き
気付けば一時間以上そこにいたわけですが
その中で、はじめてテレビが村に来た時のことを話してくれました。
当時はテレビのあるうちに
近所の人が大勢集まって
いろんな番組を見ていたらしいんよ。
そのこと自体は『三丁目の夕日』とかで知ってたんやけど
それは「来た日のみのイベント」だと認識しちょりました。
違うんやって。
毎日誰かかれかその家に見に行ってたらしいんよ。
自分用の座布団持って。
信じられる?
そのおじいさんも金曜日に好きな番組があったらしく
夕方のなるべく早い時間から
「場所取り」に行ってたんやって。
なるべくテレビに近い場所を確保するために。
つまり
毎日×②
その家には町中の人が
テレビを見に来てたんよ。
各家にテレビが普及するまでの間。
今ならありえんでしょ?
「・・・・・・うん、うざい!!!」
言っちゃうね、僕。
ほんとに娯楽が無かった時代なんやなぁ・・・とも思ったし
地域の人間の繋がりの強さにも違和感覚えるくらいビックリした。
ちゅうかほぼ家族やん、それ。
おじいさんは
「今の人は『自分だけ』ってのばっかりや。
共有を感じる場所がないのに共存意識なんか持てるわけがねぇ。
そんな中で育つ子供達が可哀相やわい」
そんなふうに嘆いちょりました。
一人の人間、二人の夫婦だけで
まともに子育てするのって限界があると思うんよ。
お母さんはアパートの密室で半監禁状態で、子供と24時間二人きり。
強制的で一方的なマニュアル雑誌のみに頼って
ノイローゼになるための要素が飽和状態の環境
ゆとりなんかどこにもないやん?
そーじゃなくても
親一人の人生だけで、子供に与える全てを網羅できるわけもなく
「俺はこう思う」って、ずれた価値観をを与えられて
幼くしてその感覚を植えつけられた子供はどんななんの?
みんながみんな、よくできた完璧な人間ではないんですね。
親族をはじめ、近所のおっさんおばさん、通学途中のお店の人
親が伝えきれないたくさんの大切な事を、地域からもらって育つのって
子供にとってすごい恵まれた環境やと思うんよ。
歩けば危険とぶつかるような今やけんこそ
小さな枠組みの「共存意識」が必要なんやねぇんかな。
おれだけ
うちの子だけ
うちの家族だけ
おじいさんに教えてもらった、地域の中での「共存」。
実際のところ、今の社会で実践可能かっちゅうと
そこにはいくつもの問題があるんやろうけど
個人主義が叫ばれる世の中に生きる僕らには
意識を少し外に向けるくらいが
ちょうどいいバランスなんやろうなっち感じた小一時間でございました。
田舎に来いよ。おめさんたち。
一緒に「町暮らし」しようで。
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