恒常的人生に触れる。
裏手の畳屋町八幡宮へと繋がっちょるのですけれどもね。
そこで最近よくお会いするゴミがあるんです。

わかるかいな?
飴の袋。

これがね
二ヶ月くらい前から
ほぼ毎日
この道に捨てられちょるん。
なんならその律儀さに
ちょっと感服しちゃうくらいに、毎日きっちり。
飴の種類なんか山ほどあるでしょ?
毎日×2浮気もせずにこの飴買うて
しかもきっちりうちの横で口に放り込む。
このルーティンワークの精度たるや。
例えば。
彼(あるいは彼女)がいつも捨てる場所のちょっと先に
大きなゴミ箱を1つ用意して
「ご自由にお入れください」とかなんとか書いたなら
それは彼(あるいは彼女)にとって
非常に大きなトラブルになるんやろな。
必ずそこに捨てていた場所のそばに
ゴミ箱ができるということは
自分の確固たるルーティンを破棄して、そのゴミ箱に捨てるか
あるいは今までにはなかった多少のうっとうしさを感じつつ
これまで通り、うちの横に捨てていくか。
いずれにせよ
彼(あるいは彼女)の、完全ともいえる恒常化した生活は
「ゴミ箱を置く」という行為によって容易く崩れ去り
約束されたかに思えた永続的日常は
まるで毛糸のほつれの如く
そぞろに形を失ってしまうだろう。

他人、ましてや顔も見たことがない(だろう)人間の人生に
そこまで介入するわけにいかん。
そんな風に思ってるからという訳じゃねえんですが
ゴミ箱は設置せんどこうと思います。
ちゅか、捨てんなよ。ばか。
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